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長沼蓉生子の部屋- 占星術家 長沼蓉生子のご紹介 -

占星術家 長沼蓉生子のご紹介

ちょっと、長いご挨拶状。
はじめまして。長沼蓉生子(ながぬま ようこ)と申します。

名古屋育ち。名古屋市在住。

赤味噌が苦手な生粋の名古屋人。

現在、名古屋駅近くのオフィスビルで星を読ませていただいております。

ここまで来るには色々ありました。

生後5ヶ月で母は私を置いて家を出て行きました。
理由は今となっては迷宮入りです。

自分のルーツがわからない人間というのはもろい部分があります。

教師だった父は、母親というものがいかに学校に来る用事が多いかそれをわかっていたのだと 思います。

小学校に上がると、新しい母を用意してくれました。
しかし継母になじむなじまない以前に問題がありました。
同居している祖母と折り合いが悪すぎたのです。
大人の喧騒の中で私は育ちました。

「なぜ父は祖母を制することが出来ないのか?」

子供心にも疑問があったのですが、ずいぶん経ってからその理由がわかりました。

父にとっても祖母は継母だったからです。

父は戦争体験者です。
命からがら生還しても、港に迎えに来てくれていたのは、実の母ではなく今の祖母だったのです。

その後、大病して生きるか死ぬかの時、献身的な看病をし、結婚に失敗した後の私の養育を 一手に引き受けてくれた祖母に、父は何も言えなかったのです。

6年後のある日、その新しい母も私を置いて家を出て行きました。

暗い子でした。
でも外では明るい子でした。

多分生後5ヶ月から、人生の矛盾と戦ってきたのだと思います。

大変な幼少期でした。

家庭内の紛争の原因の大半を作っていた祖母。
その愛すべきくそばばぁは不思議な人でもありました。

私の命名もこの人でした。

きっと字画なんか考えてないのでプロとなった今、良い名前かと問われたら、首を傾げなくては いけない名前ですが星にちなんだ漢字が使ってあって『皆と違っている感』が
私はすごく好きでした。

まるで祖母は、私の最終の使命を知っていたのではと思うネーミングでした。

また小さい時に、庭遊びを始めると、「今年はこの方角は土を掘ったり、汚くしたりしては いけません」と、きつく言われて育ちました。

だから幼な心にも、「何だか年によって良い場所と悪い場所があるんだ」と漠然と 思ったものでした。

でもその謎も、字が何となく読めるようになったらわかりました。
祖母の愛読書だった高島易断の本に方角が書いてあります。

しょっちゅう占い本を開いては、月の運勢をみたりしていました。

手相もすごく興味があって、本を読んだ翌日、小学校で同級生の手のひら見ていた覚えがあります。

そうなんです。
私の占いのルーツはここにあり!

どんどん暗くなる家庭内の自分と社会生活では、明るくなる自分。

中学時代、高校時代、短大時代。
自分の内面と外面……人生の矛盾との戦いは続く。

そして19歳。
画家を目指す青年と、お湯も湧かしたことのない私が、周りの猛反対を押し切って結婚。
初めて自分の意思で行動した。
自分の人生の選択。
紙袋二つからの新婚生活でした。

その後、3人の子を預かり(子供は授かり者だとは思わないので)
親の援助の無い勘当娘の虎視奮闘の子育て

子供が中学・小学生・幼稚園に行くころ、外資系化粧品メーカーのエリアマネージャーに
なりました。
この時代の出来事を語らせたら、きっと本が何冊も書けると思うくらいの10年間でした。

勝利の美酒もたくさん飲んだけど、煮え湯も自ら飲んだような気がします。

そして、この頃は、仕事で選択を迫られることが多々ありました。
悩んでいると必ず誰かからタイムリーに「いい占い師の先生いるよ」と声が掛かり、
その都度参考にして色んなことを進めてきた気がします。

あくまで「参考程度に」です。

なぜかというと、きっと私が出会っていたのは「命理学」ではなくて卜占(ぼくせん)だったから だと思います。だから仕事のことに関した指示内容だけで誰も自分の人生や肝心のことに関しては、満足した答えを返してくれませんでした。

そして悩んだ末、断腸の思いで適職であったマネジャー業を退職。

それからの約10年。
苦しかった10年。
違う自分にも出会えた10年。

でも、命盤どおりの10年。

そして2009年 宿命の「紫微斗数」に出逢う。

今までの矛盾点が、まるで絡まった糸がするすると解けていくように自分の心の中が
すっきりしていくのがわかった時の驚きと戸惑い。

この占術はいったい何なの?

いいことは皆と分かち合いたい

最初に鑑定して戴いた藤田和久先生にたくさんの友人を紹介していくうちに

ある日先生から

「紫微斗数の勉強をしてみませんか?」

「長沼さん占い師さんに向いていますよ」

わたし…ですか?

「そうです あなたです。」

答えのわかった人間の行動力は凄いものがあります。

藤田先生のご指導のもと紫微斗数の星に導かれて2010年
本格的に占星術師としてスタート。

私の天職……占星術師

気が付けばこの4年。 すでに1,000人近い方を鑑定させていただきました。

人の悩みは尽きない。また人の欲望も尽きない。

今より幸福になりたい。

愛する人を幸福にしたい。

本当に幸福になりたい。

でも、それをどうしたら成就できるか、みんなわからない。

諦めたら、そこですべて終わってしまう。

人生には「100の命運」があります。

1回目でその「運」に巡り会える人もいれば、
100回目で見つかる人もいる。

だから大事なことは、人生「最後まで諦めない」ことだと思います。

最期まで諦めない人の為に長沼蓉生子がおります。

このわたしでよろしければ一緒にあなたの「命運」を探すお手伝いをさせていただけませんか?

長沼蓉生子

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